みなさん、こちらの方をご存知ですか?
小学校の教科書でも紹介されていましたよね。
そうです。田中正造さん。
足尾銅山鉱毒事件に人生を捧げた男「田中正造」
出典元: ウィキペディア:田中正造
富国強兵を掲げていた明治時代。
国内初となってしまった公害事件。
「足尾銅山鉱毒事件」
足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた日本で初めてとなる足尾銅山での公害事件。原因企業は古河鉱業(現在の古河機械金属)。
出典元: ウィキペディア:足尾鉱毒事件
実は、田中正造さんの行動力が凄い。
衆議院議員として国会で何度訴えても政府は動いてくれない。
私財を使い尽くしても解決できない。。。
枯れる山、汚染される川。苦しむ市民。
自分に責任があると思い込んだ末の行動が・・・
なんと!明治天皇への直訴!!
明治34年(1901年)12月10日、日比谷において田中正造が明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行ったが、警備の警官に取り押さえられて失敗。しかし、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。
出典元: ウィキペディア:足尾銅山鉱毒事件
この行動が世論を動かし、広く知れ渡り
学生が現地見学に行ったりと、最終的には腰の重かった政府を動かしました。
田中の直訴後、学生が相次いで団体で足尾見学に向かうなど、世論の盛り上がりにあわてた政府は、1902年に第二次鉱毒調査委員会を設置した。
出典元: ウィキペディア:足尾鉱毒事件
そして、被害民の援助を目的とした
「鉱毒地救助金」いまでいう「募金」が自然発生しました。
当時は、支援者の名前と金額が新聞に掲載されたそうです。
100年以上も前から「募金」は行われていたのですね。